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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
シェリー(しぇりー、1957年10月17日 - )は、日本の歌手、タレントである。本名は安部玲子。 == 略歴 == フランス人の父と日本人の母の子として誕生(いわゆる「フランス系のハーフ」)。東京都立代々木高等学校卒業。フランス人の父はシェリーが生まれて6カ月後にフランスで事故死をしており〔週刊ポスト1981年7月3日号 P76〕、母親が今の父に悪いからと実の父の写真を全部処分したため、「実の父がフランス人だったことを知らなかった。母が今の日本人の父と再婚だったことも知らなかった。〔週刊平凡 1975年5月15日号 P150~151〕」と語っている。そのため、本人はその容ぼうにもかかわらず日本語しか話せず、大阪にいる現在は大阪弁を流ちょうに話す。その日本人の父も17歳の時亡くしている〔週刊明星 1975年10月12日号〕。 14歳で元祖「ハーフ美少女アイドル」としてデビュー、『an・an』(マガジンハウス)、『non-no』(集英社)のモデルを始める。1974年、篠山紀信撮影による『プレイガール』(集英社)の第2号の表紙で話題を呼び、その年、歌手デビュー。『オズの魔法使い』で主演を果たして中高生を中心に人気を博す。このドラマは世界初の立体映像が売り物で本編中、2色のメガネをかけると立体に見えるシーンが数分間あるということで話題になった。その後『金曜10時!うわさのチャンネル!!』でマギー・ミネンコの後を継いでバラエティーアイドルという立場を確立、番組内で発した「ケツ見ろっ!」という言葉は流行語ともなった。 1983年、一歳年上のテニスコーチと結婚するも3年半で破局。妻のいる男性とダブル不倫となり、しかも妊娠5カ月での離婚ということで話題となるが、離婚を決意したときには妊娠していることが分からなかったからで、子供は夫の子としていた〔週刊明星 1987年4月9日号 P47〕。女児を出産する。「出産のために大阪に来たけど、居心地がいいので、そのまま住みついてしまった。」といい〔週刊宝石 1992年5月7-14日号 大追跡!あの有名人は、いま…〕、87年に移住。以後、大阪でのテレビ局を中心に活動する。 不倫相手との間にできた男児を出産する。大阪松屋町にタコ焼きが食べられるスナック『TACO BAR たこのつぼ』を始める。その後、大阪ミナミでスナック『シェリーの店』を経営、東京でカラオケ・クラブを経営している元アイドルの伊藤咲子とは、関東と関西で出張する客を紹介し合ったりする仲であった。 母が脳梗塞で倒れ、母の介護と子供の養育費の捻出に追われるが、2012年7月、車を運転中、今度は自身が脳梗塞となり、事故は免れたが入院することになる。9月に退院するが後遺症のため店を閉めざるえなくなり、リハビリに専念する〔爆報!THEフライデー 2014年5月23日放送 TBS〕。 爆笑問題の太田光がかつてファンで、初めて会った芸能人でもあり、その太田のリクエストによって2014年5月23日放送の『爆報! THE フライデー』(TBS)で取り上げられる。ここで最初の子供も不倫の相手から授かったもので、夫の子ではなくマスコミには嘘を言ったと初告白した〔。今は介護ヘルパーのライセンスを修得、兵庫県尼崎市の介護施設で働いている〔。 娘は『推定少女』のLissa。父親違いの妹が一人いる。巨人軍と競馬のファン、趣味は茶道、スキューバダイビング、スケート〔週刊ポスト 1995年10月13日号 P7~14〕。胸の下に大きな副乳があり、NTV紅白歌のベストテンで披露した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「シェリー (タレント)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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